2019.06.29
皆さんこんにちは!
REIWAです('ω')ノ
令和時代の幕開けと共にわが家にやってきた
”プジョー308sw”
今回はこのクルマの購入前から購入に至るまで、そして購入後の今思う事、
その様な事を3回に分けて話題にしてみようと思います
ご興味いただけましたら、お時間の許す限りどうぞお付き合い下さい
F1のホンダからWRCのプジョーへ
すでに手放したホンダ ヴェゼル、このクルマに限った話じゃないですけど、残念に思う事が多々あるクルマでした
しかし一番残念な思いをしたのは購入店であるホンダカーズ××店の無礼失礼ありえない出来事の数々
(。-`ω-)プイッ
初回の車検を済ませた直後のトラブル再燃で、もうココまで!
手放すなら早い方が良いと考えすぐに売却してきちゃったのです
(苦笑)
この様な形でクルマを手放すのは長いカーライフの中でも初めて事
次のクルマは~、なんて考えてもいなかったので、気に入ったクルマが現れるまでは自転車とオートバイ、電車も悪くないか…、そうノンビリ構えてみようとするものの、やっぱりクルマが無いと寂しいのです…
そんな訳で急遽REIWAのメガネに適うクルマを探す事になったのです
”ヴェゼルありがとう そしてさよなら”と題したブログを先月投稿しましたけど、その中でも述べた通りREIWAが思うヴェゼルハイブリッドZの欠点は乗り心地と静粛性、この2つ
そんな事もあり今度のクルマは、乗り心地が良く静粛性も高く長時間の運転も苦にならない…そんな事をテーマに掲げ希望に沿うクルマをリストアップ、
そんな時に頭に浮かんできたのが
Peugeot
石畳の道路とラリーで鍛えられたフランスのクルマです
とはいえ、プジョーのクルマには何年何十年もの間触れる機会がなかったので、プジョーの近況やラインナップを調べてみる事からクルマ探しをスタートさせたのでした
プジョーを知った205Gti
プジョーといえば1986年に日本で発売された”プジョー205”が思い出されます
1980年代にクルマと共に青春時代を謳歌していたREIWAと同じ世代の方には頷いて貰えるでしょう(笑)
イタリア最大のカロッツェリアであったピニンファリーナとの合作で誕生したプジョー205は、本国での発売から3年遅れで日本にやってきます
お洒落なルックス、如何にも走りそうな佇まい…
このクルマが上陸した事でプジョーの名は一気に日本の車好きの間に広まったと思います
この頃の日本はといえば、モーターリゼーション花盛りの頃、若者の間では「なに乗ってるの?」というフレーズが挨拶にもなっていたような時代、クルマの免許を取得したばかりのREIWAも周り仲間達と同じようにクルマ中心の日々を当たり前のように過ごしていました
それから暫く経ったある日の晩、親友のTが1台の外国車に乗ってやってきます
プジョー205Gti1.6
自動車販売に関する仕事にも携わっていたTがその関係者から借りてきたクルマでした
まだ微かに新車の香りが残るプジョー205を夜が明けるまで走らせました
一見すると、この時のREIWAの愛車”ホンダ バラードスポーツCR‐X”と同じボーイズレーサーにカテゴライズしても良さそうな出で立ちのプジョー205でしたけど、乗れば次元の違うクルマで衝撃を受けました、それというのは乗り心地とハンドリングが両立している初めてのクルマだったからです…
本気で欲しいと思ったクルマでしたけど、時はバブル時代に突入、トレンドはハイソカー、REIWAも自然とそのようなクルマを求めるようになっていました…
”プジョー205GTi1.6”
現在でも通用するデザイン
タイヤが四隅に配置されていて今にも走り出しそう!
下の画像はルノー5(サンク) ※2代目
プジョー205と共にこの時代のフランス製コンパクトハッチの人気を牽引したクルマです
205同様お洒落センサーの敏感な人が乗るクルマでした
プジョーの武勇伝
プジョー205がその名を世界に知らしめたのが世界ラリー選手権
WRCグループBです
WRC黄金期といわれた伝説のグループBとは最高出力が600馬力に届かんばかりの過激なレギュレーションの下ワークスチームが熱きバトルを繰り広げたレース
過激なマシンでのレースという事もありレース中のアクシデントで亡くなったドライバーもいました
その様な事情で一部のワークスチーム撤退などがあり1986年までのわずか4年でグループBはその幕を閉じる事になります
男が男だったこの時代、伝説に残るモンスターマシンが次々とグループBに投入されました!
ランチャ・デルタS4
グループB終焉の引き金となる事故を起こしてしまったデルタS4、名門イタリアのランチャがラリーで勝つために手掛けたクルマです、そのエキゾチックなスタイリングは多くのファンを魅了しました、MARTINIカラーが映えるマシンは現在でも色あせない魅力を放っています
【アウディ・クアトロ】
アウディが採用したクアトロというネーミングは4輪駆動を表現したもの、
現在では特別なクルマでなくても当たり前となった4輪駆動ですが、当時は重くて複雑という理由からレースの世界では好まれていなかったようです、しかしアウディはライバル達よりいち早く高性能な4輪駆動システム”クアトロ”をレースの場に持ち込み成功する事となります、それは現在のアウディブランドの礎にもなっています
【フォード・RS200】
1985年と遅ればせながら登場した4輪駆動専用車”フォード・RS200”
フォードといえばアメリカBIG3の一員、つまり米国フォードをイメージしますが、このクルマは欧州フォードのクルマ、欧州の人達が熱狂する世界ラリー選手権での勝利を目指し欧州フォードが作り上げたクルマです、フォードはWRCを支えてきたメーカー、このクルマの個性的なグラスファイバー製のボディは一度見たら忘れられません
【プジョー205ターボ16】
WRCに参戦する目的で誕生したミッドシップ4輪駆動車”プジョー205ターボ16”
ホモロゲ―ションを受ける為200台だけ限定で発売されたスーパーマシンで中身は普通の205とは全くの別物になります
当時の日本での販売価格は800万円勝利を義務付けられたプジョー205タ―ボ16のWRCグループB参戦は1984年中盤戦から
参戦を始めたこの年のレースはその半分を勝利で飾るというモンスターっぷりで世界のレースファンのど度肝を抜きます
更に驚くのは、その翌年からの1985年と1986年にはコンストラクターズとドライバーズタイトルのダブルタイトルを2連覇してしまったという事!
このチャンピオンマシンを作り上げた人というのは後にスクーデリア・フェラーリF1チームを率いてF1グランプリを大いに盛り上げたフランス人のジャン・トッドさん
現在はFIA(国際自動車連盟)の9代目会長さんです
パリ・ダカ―ルラリー
プジョー205タ―ボ16はパリ・ダカールラリーでも主役を演じる事となります
プジョーが「砂漠のライオン」と称えられる事になったサハラ砂漠を経由する世界一過酷なラリー
”パリダカ”
日本でも多くの方がその名を耳にした事があると思います
1987年、プジョーのパリダカデビュー戦
205ターボ16を引っ提げ満を持して挑んだプジョー、しかしレース序盤でミッショントラブルに遭い大幅に遅れをとる事になります
しかしプジョーは勝利を諦める事はせずマシンの修理に取り掛かります…
そして修理が済みマシンに乗り込んだのがプジョーのエースドライバー”アリ・バタネン”
そのアリ・バタネンは神がかったドライヴィングで怒涛の追い上げを始めます…
それは1日で250台ものライバルを追い抜くなんて日も
…
この大会の為にプジョーが用意したマシンは
プジョー205ターボ16グラン・レイト
22日間にも及んだプジョーのパリダカデビュー戦は、アリ・バタネン操るこのマシンの強烈なインパクトを残すだけでなく、見事な勝利までも手中にしたのでした…